与那国町診療所の1日
与那国町診療所のある与那国島は、日本最西端となる国境の島です。昔から与那国島への渡航は難しく、島言葉で“どぅなんちま”と呼ばれており、満天の星空、豊かな自然、海底遺跡そしてドラマ「Dr.コトー診療所」のロケ地 といった観光地としても知られ、年間で約30,000人の方々が島を訪れます。
与那国町診療所は島唯一の医療機関であり、医師も島内では私、並木宏文のみ。全人口1,500人(高齢化率22.9%)の島を24時間、365日支えております。診療所には、年間8,000人を超える患者様が訪れ、全患者数の0.5〜1.0%の割合で入院に、緊急搬送は0.1〜0.2%の割合で発生し、訪問診療や往診は年間約120件と、離島にしかない特殊かつ過酷な環境の中で医療を提供しています。
与那国診療所の1日
午前
朝8:30、離島診療所の1日が始まります。1日の外来患者数は28~29人で、年齢や訴えを問わず、幅広い層の患者様が訪れます。患者様である島民の中には休日の受診を我慢され、診療日の朝早くから診療所前で待っていてくれる方もおり、島民の方々からの診療所への“心遣い”を感じることが多々あります。
診療所の受付は 田島 亜紀 が担当しています。この職員の笑顔に島民の方々はいつも安心して、診察の受付や会計をされています。
受付が終わると、看護師の前盛 優子が優しい口調で患者様を問診室までお呼びし、体重・血圧測定、適切な診療の流れを作ります。あらゆる訴えに向かい合い続けられるのが、離島診療所で活躍する看護師の特徴でもあります。
問診後は診察を行います。この日は定期受診だけではなく、発熱や骨折、眼異物、歯科疾患、肩痛へのFasciaリリースなどを含め、患者様 計42人の来院がありました。医師として最善を尽くすのは当然ではありますが、“離島の苦しさ”を理解した医療を提供する行動を大切にしています。
午前の診療が終わると、それぞれ昼食を取りに帰宅します。今日は点滴が必要な方がおり、看護師の大崎 久代 が付き添いしていました。島唯一の医療機関である診療所は急患も多く、昼食が時間通りに取れることは、実はあまりありません。
午後
この日の午後は“離島包括看護(従来の訪問看護)”に 看護師の勇 葉子 が出掛けました。これは、離島の保健・医療・福祉をつなぎ、島民の自助・互助を促進する活動を行うことで、この島に長く住む事ができる「環境の下地作り」を目的としています。
一方、私の方は診療所で2次健診の超音波検査を行い、その後保育所の健診に伺いました。診療所に帰ってくると、「おじーが自宅で倒れている!」と民生委員さんからの連絡が入りました。直ちに自宅へ向かうと、おじーは高齢者かつ一人暮らし、診察すると肺炎でした。地元の消防団に手伝ってもらい診療所へ搬送、抗生剤による治療を開始しました。
時間外
この様な場合、へき地であっても陸地で繋がっていれば、救急車で病院へ搬送、そして入院といったことになるかと思いますが、離島はそれが難しい環境です。この日もあいにく、飛行機の定期便は満席で搭乗できず翌日の便に乗ることになり、この夜はおじーと診療所で1泊することとしました。離島は、時間帯や自然状況、天候によらず“孤立”しているのです。バイタル測定や診察、点滴の交換など一晩かけて行い、翌朝、職員の 糸数 永久 が与那国空港まで搬送し、飛行機で無事隣島まで渡り病院に入院することが出来ました。
このケースはヘリによる緊急搬送を要請すれば簡単だったかもしれません。ただ、入院を依頼した先の病院も離島にあり、医師は限られた人員で必死にその島の医療を支えています。患者様がいる自院から離れ、隣の島までヘリ搬送に出向くことはさらに厳しい状況を招くことになりかねません。それを知った上で離島診療所の医師が行うべきこと、やれること、それは“ゆいまーるの心(助け合いの心)”を忘れないこと、そしてそれを実践することです。
診療所に朝が来ました。おじーを送り出した1日の始まりは、少しの達成感がありますが、診療所の職員はいつも「もっとこの島を良くしたい」という気持ちで溢れています。今日も診療所の前で待つ島民がいます。与那国町診療所は、島を想い、助け合って暮らす島民がいる限り、島民のものであり続けます。