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沿革(平成20年〜)

昭和45年(1970年)に公立病院として開設した当院は、当時から上野原市を中心とし、神奈川県西部、山梨県東部地域の中核病院としての役割を担っています。
開院当初許可病床110床からスタートした当院は、年を追うごと増える人口や多様化する市民の皆様の医療ニーズに対応するため、診療科の増設、新病棟の建設と許可病床の増設、提供する医療機能の拡充などを重ね、患者サービス向上に努めてきました。
平成に入ってからは着実な病院運営が長らく続いていましたが、平成16年(2004年)の新医師臨床研修制度の開始により、地域病院の医療の確保に大きく貢献していた多くの大学は、地域医療への医師派遣の余力を失い、当院も派遣医師を急激かつ大幅に減員されることとなりました。
医師不足による診療科の休止、それに伴う患者減、さらにそれが将来を不安視する職員の流出と残留する職員の業務過多による疲弊を招くという負の連鎖に陥り、病院の存続さえも危ぶまれる状況に陥りました。
こうした中、市民の医療確保のため、行政、市民、医療人が一体となって昼夜を問わぬ不断の努力を行った結果、平成20年(2008年)10月には、指定管理者制度に基づく公設民営化により、社団法人地域医療振興協会に運営が委ねられ、医師、看護師を中心に、医療スタッフの確保にも明るい兆しがみられるようになりました。
一方、建設後40年を経た建物は施設の老朽化が顕著だったうえ、地震時の耐震性にも大きな不安が指摘され、新病院の建設は全市民の悲願でありました。
こうした状況の中で、公設民営化による経営改善や医療スタッフの確保への期待と、国の緊急経済対策による「医療施設耐震化臨時特例交付金」など各種補助金の交付が追い風となり、平成22年には病院新築事業が開始し、平成24年10月1日に無事新病院での診察を開始しました。
新病院の開院に伴い、病院理念を「共生、信頼、融和」と新たに定め、行政、市民、医療人がともに地域に共生し、信頼しあい、互いを尊重し融和を図りながら、これまでに増して皆様に「愛され親しまれる病院」となるよう全力で運営にあたってまいります。


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平成20年4月1日
 指定管理者からの常勤に前倒し派遣開始

平成20年10月1日
 指定管理者による運営開始

平成20年11月1日
 コンピューター断層撮影装置(CT)を16列マルチスライス化

平成21年3月1日
 医療用画像供覧システム(PACS)の導入によりフィルムレス化

平成22年3月1日
 電子カルテシステムの導入により原則ペーパーレス化

平成22年4月
 新病院建設事業基本設計、実施設計着手

平成23年4月
 新病院建設事業施工事業者選定

平成23年5月
 新病院建設着工

平成24年7月31日
 新病院竣工

平成24年9月15日
 新病院落成記念式典挙行

平成24年10月1日
 新病院での診察開始
  (許可病床135床、内科、循環器内科、小児科、外科、肛門外科、
  整形外科(骨粗鬆症外来)、脳神経外科、リハビリテーション科、
  放射線科、皮膚科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、眼科、麻酔科、
  神経内科、麻酔科(ペイン外来))
 磁気共鳴画像装置(MRI)導入
 ハイブリッドオペ室等、各種医療機器新規導入

平成24年11月1日
 婦人科開設